*[読書]9プリンシプルズ

9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために

9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために

筆者による9つの原則は下記である。これは理論的に導き出されたというより、筆者とその仲間たちが長年の活動の中で実践してきたものだ。これまた色々刺激を受けた。

権威より創発
プッシュよりプル
地図よりコンパス
安全よりリスク
理論より実践
従順より不服従
能力より多様性
強さより回復力
モノよりシステム

訳者解説にあるように、こんなことが本当に起こるのだろうかという視点や、面白いことに対する感応度をよくしておくという視点もありうるが、まずは自分たちの組織で9つをどのように生かせるだろうかという実践的な視点もよいのでは(理論より実践!)。

たとえば「プッシュよりプル」で紹介されているのは、311の後、放射能を計測するガイガーカウンターを確保するため、ハッカースペースで自分たちで作り、自動車に取り付けることでたくさんのデータを集められるというアイデアをもらい、キックスターターで資金調達し、市民科学者からデータを集め、クリエイティブコモンズで提供した、というエピソード。

自分たちにこんなすごいことはできないけど、まずは手ごろなSNSを通じて仕事に関係しそうな人とつながっておくだけでも実践につながるだろう。あるいは、事業のアイデア段階で、部署や組織を越えて共有し、日本いや世界から適材適所の人材でチームを結成できればベストだろう。もちろん言うは易しで、アイデアだけ取られるリスクや、同床異夢で互いにリソースを浪費するだけで終わるかもしれない。でもまずは一歩を踏み出してみたい。

「地図よりコンパス」も言いたいことはよくわかる。マクロ的な鳥観図の中で自分を位置づけるのも良いけど、よくわからないがその時に面白そうな方向に進んでいくということであれば、大半の人はそんな感じで人生のコマを進めているのではないだろうか。しかし人をまとめる管理職となると話は別だ。私たちは、経営戦略やら、事業計画やら、五か年計画やらの中で、自分たちのやっていることがどこに位置づけられるかを明確にし、説明できないプロジェクトがあればメンバーの行動を修正しなければならない。公共プロジェクトであれば、なおさらアカウンタビリティが求められる。

本書が言っているのは、MITメディアラボのようなクリエイティブ志向の組織では、詳細な計画づくりがそもそも不可能では、ということだ。公共事業でも、グーグルや丸紅などが従業員の労務管理で実践しているように、説明できなくてもよいから面白い事業にたとえば15%は投じる、といったようなバランスが必要なのかもしれない。ベンチャー事業支援制度とかは、本当はそんなスピリットのはずなのだけど…。

訳者解説では、新しい発展に潜む可能性を感じ取ること、面白いと思う能力を身に着けることが次の時代の動きを読むのに大事という。おもしろいかどうか(あるいはちょっと違うけど、みんなが楽しんでやれるかどうか)は、とても定性的だし、人によっても異なるので事業評価などになかなか入れづらい視点だが、結構重要だったりするので、何か枠組みを考えたいなぁ。

*[読書]ネットで進化する人類 ビフォア/アフター・インターネット

インターネットを媒介に、人類は機械やバイオなどとともに新たな進化を遂げていくという本である。『サピエンス全史』の言い方を借りれば、サイボーグ工学等が自然淘汰にとって代わることで「超・ホモサピエンス」になっていく過程である。

1章(スプ):未来にはこうなるかもしれないというProvocativeな問いかけをアーティストとして行っていきたいというマニフェストと解釈した。オキシトシン生成遺伝子を組み込んだカイコで作った、恋に落ちるかもしれないシルクドレスとか、純粋に楽しんでやっているのもよいけど、それ以上に、サイエンスとアートとエンジニアリングの架け橋になるという使命感は爽快である。

4章(藤井):バーチャルリアリティーや藤井らの進めるSRによって、ヘッドマウントディスプレイを通じて自己は自らの肉体を越えるようになる。幽体離脱離人症のような不思議な感覚が得られるというだけでなく、外科医のように希少な専門性を持った人間が、他の人間を同時に操って能力をシェアすることができるようになるという。欲を言えば、「脳の潜在機能の拡張」という節は、どんな部位がどのように拡張されるのかといった内容があるとよいと感じた。

5章(田中):オープンソース3DプリンタであるRepRapは、自己再生産する機械というコンセプトだったが、文字通り機械が自己再生産するのは難しい。でも、オープンソースでプリンタが改良、進歩、分化していくのも自己再生産に近いという(ややこじつけ感があるが、理論やアナロジーとしてとても面白い)。

3Dプリンタは、情報を送ってしまうとあとは人間のやることはない点が、強みでも弱みでもあるという。田中は、あえてそれを半自動にすることで、人間と機械とが互いに創ったり壊したりしていくことが、便利さではなく創造性を追求するために必要なのではないか、と指摘する。このようにあえてループホールを残しておくというのは直観的に正しい気がするし、人間と機械が共進化する新たな可能性を感じる。

6章(伊藤):DIYバイオで創薬する伊藤の興奮が伝わってくる。ただ、本書全体のまとめをしようという意図からか、バイオでない視点も入ってきて焦点がぼやけてしまっているのが残念。マインドフルネス、アイデンティティ、コミュニケーションなど非常に重要な論点にも触れられるが、どれもちょっとした紹介程度に終わっているので、章を改めてほしかった。

本書全体として、人間と機械やバイオなどとの「共進化」がますます鮮明になっていくと感じた。当然のことながら、こういう進化が良い悪いという規範的な判断は据え置かれているし、楽観主義者としては、これが切り開く様々な可能性に期待したいけど、一方で課題も出てくる。たとえば4章のように自己が肉体を超えるようになると、アイデンティティの再定義を迫られることになる。一体我々は何になりたいのか?また、市場での臓器ならぬ身体売買に対する需要が生まれることも想像に難くない。

こうした哲学・倫理的な問題は山積している。というか、一つの問題が解決しないまま、新たな難題に次から次へと襲われる感覚さえある。これらに対処するにも、伊藤は「コミュニケーション」が必要と6章で述べる。それはそうなんだろうけど、やや物足りなく、提案としてもう一歩踏み込んでほしかった。

具体的には、本書が提示するような新たな人類進化に対する、抜本的な社会的熟議の仕組みを作っていく必要があると思う。その際のヒント(の一つ)は、やはりインターネットやオープンソースにあるような気がする。

たとえば1章では、多くの人と研究者がやり取りする「反応する科学(Responsive science)」が提示されているが、科学技術を一般に伝えるサイエンスカフェの取り組みや、リスクコミュニケーションなどの知見も使えば、こうした進化に適応していくことは不可能ではないし、自分もそういう議論に関わっていきたいと思う。

*[TED]建築家は人間関係を築いているのだ

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アメリカの建築家Jeanne Gangという人が、Architects are relationship buildersと言っている。

公共空間が人間関係を形成するという議論は珍しくない。そしてうちの会社でも話題になっていたけど、普段一緒に仕事をしない人同士の交流を活性化するためのオフィススペース設計という議論もある。でも建築という、都市空間やオフィススペースのちょうど中間にある、物理的な単位だけでもこういう議論ができるのが新鮮だった。もちろん、私が知らないだけで、そういう建築の議論はいっぱいあるのだろう。

このプレゼンで具体的に紹介されているのは、みんなでワークショップしながら作っていった設計図で、警察署をPoliceからPolisにする、つまり従来のように駐車場の真ん中にあって近寄りがたい権威の象徴であるような場所ではなく、みんなが集まって交流する空間にしよう、という考え方。実際に、バスケットボールのコートを中心に警察署を配置してみたら、親御さんはみな安心してそこに子供を行かせるようになったという。

そういえばうちの近所の警察署でも、地元の子どもたちに剣道を教えていて、これをもっと開放的にやれば、ここでの趣旨に近くなりそう。でも日本には既にこれに似た考え方がある。(やや神話化している面があり最近はかならずしもそうでないのかもしれないけど)交番が地域の人たちの安心スポットになっていたりする。

また、プレゼンでは、将来的には銀行やら理髪店やらも集めたいとのことだけど…これは日本で既にショッピングモールやコンビニが街で果たしている機能とほぼ同じ。町の人たちが集まる商業的機能が賑わいをもたらすのだけど、そこに治安を司る権威を置くかどうかという違いになってくる。コンビニと交番をくっつけてみるとかもありかも。

皮肉なことに、同じTEDで、アメリカで死んでしまったショッピングモールを撮る人のプレゼンがあった。商業的機能と言っても、一つの資本がトップダウンで作るようなものは、飽きられたり、人口が減ったりするとすぐに撤退してしまう。建設する段階から地元の人をうまく巻き込んで、従来の人間関係を壊さないようなものにする必要がある。結局、警察署に商業的機能をくっつけるのも大いに結構だけど、人間関係(社会関係資本)を損ねないようなものに、ということになるだろう。やはり、建築家(と市民)は、人間関係を建築するのである。

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*[読書]明日の田園都市

 

新訳 明日の田園都市

新訳 明日の田園都市

 

 

ニュータウン田園都市計画を1900年前後に世界で初めて提案した本。高校の地理で、レッチワースという地名は習った記憶がある。その理論と実践を示した人の古典で、都市の過密やスラム拡大と地方の過疎・衰退という二つの問題に同時に取り組んだとされる。多くの先進国がスラムを克服しつつある中、これを読む現代的意義はあるのだろうかと半信半疑のまま読み進めた。

 

まずこの本は、町=社会といなか=自然は磁石で結ばれていなくてはならないと述べる。そうですよね。現に、都心から230分程度の移動で自然と触れ合える都市は魅力的だ。また本書の提案では、農地と消費地とが隣接しており、地産地消の概念も先取りされている。

 

そして本全体として、田園都市そのものの構造の話よりも、お金のまわり方や、コミュニティの移住についての主張が多いのが意外だった。また、アルフレッド・マーシャルJS・ミルなど経済学者の影響を受けていることもあり、自治体と民間の領域はどこで線を引くべきか?生産増大(効率性)と公平性とを両立させるにはどうすればよいか?といった、現代でもよく問われる経済学的な論点が既に議論されている。

 

もちろん、スラムを壊して新しく郊外に町を作る、というコンセプトそのものは、今後の日本にはあまり関係ないだろう。とはいえ、人口減少を前提にしたコンパクトシティ化、Iターンによる地方創生という文脈で読むと示唆があるかもしれない。発想を転換して、ひょっとしたら地方都市でこそ、既存の市街地にとらわれず、新しい中心部を郊外に作ることが新たな人やお金の流れを作るかもしれない。もちろん途上国ではもっと現実的な適用の可能性が高い議論の幅が広がるだろう。でも一方で、あまりこれにとらわれ過ぎるのも非現実的である。たとえばロンドンやニューヨークでは、郊外に町を作るのではなく、犯罪多発地域を再生させた再開発の事例もある。色んな制約から、移転ではなく、既存の都市をどう再開発するかということの方が重要であり続けるだろう。

 

本書が提案したようなニュータウンは、人工的過ぎて温かみがないと批判されがちである。では、ジェーン・ジェイコブスの言う雑多なご近所が織りなす温かみを持ちつつ、新たな街づくりをすることはできるだろうか?そのヒントとして、本書が基づく理論(の一つ)であるウェイクフィールドの植民地理論によれば、元の社会状態のまま、コミュニティが丸ごと移住することが重要だという。また著者は、労働者が自ら町を作ることで、資本家に対抗できるともいう。翻って現代の日本。東北の被災地からの移住においても、もとからのコミュニティが温存されることが人々の生活への満足度にとって重要だったことがわかっている。元のコミュニティをできるだけ保存すること、移住者自らが街づくりに関与すること、が今後の災害への事後対応として重視されるべきではないか。

 

都市同士のつながりはどうなるのか、スラムをつぶした後のロンドンはどうなるのか、といった根本的な疑問もある(一応、本書に答えは用意されているが)。自発的行動や競争が起こることを楽観視しすぎでは?そもそも田園都市を信託財産として持つ人はどこから現れるのか?

 

こうした疑問は残るし、本書の内容をそのまま実践する時代ではなくなったが、何らかの現代的気づきが今でも得られる本だと思う。