アクティビティってほどではないが…
今週のお題「お風呂アクティビティ」
アクティビティってほど大げさなものではないし、しかもお風呂というよりシャワーなのだが、ついつい、鼻をかんでしまうよ。
ラーメン食べた後に鼻をかみたくなるのと同じで(ラーメン屋に親切にティッシュが置いてあるのは、その目的だよね?)、あったかい水蒸気でお鼻の中も緩んでくるためだ。耳鼻咽喉科の先生が副鼻腔炎対策として、お風呂で鼻をかむことを大真面目に推奨なさっていた。
もちろんそのまま流さずに、後処理はしっかりと。
しばらく前に見たラブコメ的な映画で、結婚する前の誓いの一つで、シャワー中に鼻をかまないこと、というのがあったが…(Blow your nose during shower movie でググったら、なんか怖い映画が出てきたー。AI検索で便利になったような、なんか違うような。。)
ネットを見ると、海外でも賛否両論みたいだ。AIまとめでは、人の考え方は違うので気を付けましょう、たとえかむこと自体がOKでも、そのままにしておくのはアウトです、的な感じだった。英語の表現が味わい深かったので、引用しておきます:
Blowing your nose during a shower can be normal for many, as the steam loosens mucus, but it can be a point of contention in a marriage depending on the other partner's preferences and cleanliness standards. The main issue is often not the act itself, but how it's handled, as some find blowing into the hand disgusting and prefer it be cleaned up immediately or done into the drain instead of leaving a mess.
ともかく、温泉とか公共のお風呂ではNGだが、自分の家だけなら…という感じのアクティビティでした。
ジャムおばさんの思い出(…ってお会いしたことないけど)
前回ジャムの思い出を色々と書いた。
砂糖を使っていない、フランスのSt. Darfour サンダルフォーのジャムも良いけど、ガラス容器の底が使い切りしづらいんだよね。。
ラインアップが充実していると制覇したくなるのは、日本人のさがなのだろうか。
コロナ真っただ中で、家でうつうつとしていた時、富良野のジャムおばさんシリーズを大人買いしたことがあった。こういう小さな喜びに救われた時期だったな。
www.furanojam.com
こんな感じ。ワハハはは。
パンプキンとかメロンとか白ワインブドウとか好き。もちろんハスカップもいいけど、もう少し甘さを抑えられれば…

チップトリーとチブトリー
うちはずっと朝食はパン派。なので昔からいろんなジャムを食べて、というか付けてきた。最近はもっぱらアヲハタのまるごと果実だが、イギリスのチップトリーやフランスのボンヌママンとかも昔からなじみがある。
なんでこんな話を書こうと思ったかというと…
こないだ職場に着いた時、ぷーんと虫の羽音がして、蚊がついて来てしまったことに気づいた。しばらくたって壁に止まっているのを発見、ここぞとばかりに叩き潰したら、鮮血が……誰かの血をたんまり吸っていたらしい。どうりでヨロヨロと低空飛行していたわけだ。
もうずいぶん前、うちの食卓でイギリスのTiptree ジャムをつけて食べていた時、母が「チプトリ―」と音に出して読んだとき、まるで「血太り」みたいだな、と父が反応して、シーンとなったことがあった。血を吸い過ぎて太った蚊のことをそういうらしい。
ロンドンのホテルの朝食で(これもいっぱい書くことあるけど)、久々にチップトリーのジャムを食したので、帰国してから取り寄せた。日本でも取り扱いがあるのはありがたい。Wilkin and Sons とある通り、ウィルキン家がエセックス州チップトリー村で140年前に始めた、らしい。
www.tiptree.com
うん、いいね!これもうちの伝統なのだが、ビターなオレンジマーマレードは、クロワッサンにピッタリなのだ。
そしてウィスキー漬けのオレンジとかもあるのか!こんなにラインアップがあると、いつか制覇したくなる。
子どものときからなじみのあるブランドが健在なのを見ると、嬉しくなるよね、というお話でした。

お肌と心のパサつきをどうにかしよう
今週のお題「うるおい」
体のパサつきについて
つい2週間前に、奥にしまっておいたスーツがカビだらけで、キャーとそのままゴミ箱行きにしてしまった。リサイクルせずに申し訳。。と思ってたら、もーはや乾燥の季節ですか。湿度的に、ちょうどいい塩梅の季節はないものですかねぇ。
乾燥肌の私は、冬場はほっとくと粉吹き芋のようにカピカピになってしまう。ので、顔には化粧水をヌルヌルと、腕や体には、マツキヨとかでポンプ入りで売ってるボディミルクをペタペタと塗りたくってます。手は、ハンドクリーム、尿素入りというやつが自分には合うみたい。おすすめです。
心のパサつきについて
心のほうは、ハンドクリームと化粧水とボディミルクみたいに、ヌルヌル塗るやつはあるんでしょうか?ここは茨木のり子さんに喝を入れていただきましょう。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
自分の感受性くらい自分で守れ
ばかものよ
というわけで、ばかものの私につけるボディミルク的なものは、残念ながら無さそうです。イライラすると、大切な家族や友人に対してつっけんどんになったりとか、耳が痛い。
でも、心のうるおい=感受性、ということが分かっただけでも収穫。論理や理屈も大事だけど、直感のほうが正しいことも多い。
月並みだけど、世の中にあふれる情報をいったん忘れて、自分の感受性や直感を大切にしてみよう。スマホを置いて、季節の移り変わりを五感で感じてみよう。近所の公園とかでも、気づいていないうちに葉が色づいたりしているよ。心を空っぽにして、アート作品に触れてみよう。この三連休から始めてみよう!
幼年期の終わり:SFから考える、君たちはどう生きるか
「SF史上不朽の傑作」なのに、読んだことがなかった。こないだ飛行機内で「100分で名著」を見て、こちらを手に取った。
次の展開が気になって、サクサクと読み進められたが、最後はちょっと後味が悪い。でも読後に内容を振り返ると、哲学的な内容の深さを味わえる。
大都市の上空に現れた宇宙船とそこに乗る超神(オーバーロード)たち*1。姿を見せず、人間の争いをやめさせ、地球と人類に平和をもたらした。いったい何のために?確かに人間に善をもたらしたけれど、何か裏があるのではと思ってしまうのが人情。
どんどん人類が主体性を失い、ジョージ・オーウェル的な監視社会のディストピアを経て、人類は超神の奴隷として使われていくのか?もしくは、超神は、実は人類が進化を遂げた最終的な形態で、彼らは未来の地球からタイムスリップしてやってきたのか?「猿の惑星」の逆バージョン?などと予想しながら読んだ。が、そんな凡人の予想はもかすりもしない展開だった。
中盤で、人類が到達したユートピアの描写が興味深い。全知全能のオーバーロードが既に知っていることが多いので、科学も宗教もほとんど必要なくなった。貧困、恐怖、犯罪、病気などあらゆる悪が消滅した。ついでに、みんな2拠点生活でリモートワーク!(だけど、ケインズが予想したように、「ワーク」はあまり必要なくなっているから、単なるリモートだけど。)こういうシナリオの一つ、あり得るかもしれない未来を創造するのは、SFを読む醍醐味の一つだ。
以下、ネタバレ注意
結局、人類は個人としては死を選ぶが、そこから全体として、超精神=オーバーマインドとして生まれ変わるのだった。その瞬間を目撃するのが、40光年先のオーバーロードの母星に旅立った青年ジャンである。ジャン、自分の理解の範囲を超える変化を経験している割には、そして現在の形態としての人類最後の一人なのに、意外と冷静だな!
なお、Amazonレビューを読んでいて、「人間が養分として吸収される、ホラー」だ、という感想があって、思わず笑ってしまった。その気持ちわかる!私も一瞬、「マッドマックス 怒りのデスロード」を思い出した。でも、養分として吸収はされるけど、自分自身もその一部になると言う方が正確じゃないかな。
未来の記憶、集合的な記憶
人類がオーバーロードに対して持っていた恐怖は、過去ではなく未来の記憶だったというのも面白い。人類の終わりにオーバーロードがいるという記憶が、時間をさかのぼって共有されていた。人類の終わりは、オーバーマインドの始まりでもあるのだが、恐怖だけが記憶に残っていたのだ。
オーバーロード曰く、「人間の心は海に囲まれた島で、それぞれは隔絶されているように見えますが、実際には、海底の岩盤でつながっています。海の水が消えたあら、島は一つも残らない。それまであったものは全て一つの大陸の一部になるんです。ただし、個としての存在は失われます。…あなたがたがテレパシーと呼ぶものは、それに似ています」
未来の記憶は、SFでは定番のテーマ。でもトータル・リコールやマトリックスで描かれるのは、個人のミクロ的な記憶。ここでは、時空間を越えて、人類みんなで共有される意識や記憶、いわばマクロ的な記憶である。宇宙全体の精神、究極のコミュニティといってもいいかもしれない。哲学の一分野、意識学における国家脳にも近い発想で、現実に近からずと言えども遠からず。ミクロの合計からは全く予想のつかないマクロ現象が生まれる、創発。社会全体の記憶というレベルでは、戦争や災害の負の記憶、という話はよくあるから、必ずしも絵空事ではない(もちろん戦争や災害の記憶は、ミクロとマクロの記憶はほぼ同じになるだろうけれど)。
超精神=オーバーマインドの心構えで、超神=オーバーロードを目指して生きたい
人間を実効支配し、人間よりも優れた能力を持つのに、オーバーロードはどことなく物憂げ。最後まで読んでその理由もわかる。自分にはできなかったことをわが子に託す、たそがれの保護者だったのだ。しかも自分自身は、超精神(オーバーマインド)の召使であり続けるという運命。
彼ら曰く、進化の行く末は、二択しかない。一方、超神=オーバーロードは、自我を維持しており、人類よりも優れているが、宇宙の中で圧倒されているという点では無力である。他方、超精神=オーバーマインドは、過去の人類の業績や意識をすべて吸収した存在。悲劇ではなく到達点。
しかし、超精神=オーバーマインドの、個を失ったマクロ的な全体感は、やはりどうしても幸福なものには見えない。やはり個を失ってしまう状態は、個人主義が進んで現代人には響かないのかもしれない。
著者クラークの意図は別かもしれないが、本書が言いたかったのは、超精神=オーバーマインドの心構えを持ちつつ、超神=オーバーロードを目指して生きるのが、人類の進むべき道なのではないか。宇宙の圧倒的な存在の中で、無力でありながらも、しかし無力であるからこそ謙虚になれて、かつ、全体とのつながりを感じることができれば、幸せなのではないだろうか。
オーバーロードとオーバーマインドの中庸のようなこの生き方は、考えれば考えるほど納得のいくもの。周りの人たちに感謝しつつ、信頼しながら、存在としてはちっぽけな個人として生きる。宇宙全体のコミュニティの中で、自分の存在の小ささを受け入れ、他者を信頼して、コミュニティに貢献する生き方は、岸見が解釈するアドラー心理学そのものでもある。エンディングは現実的には受け入れがたいけれど、私たちがどう生きるかという哲学につながる、驚嘆すべきスケールの作品だった。
納豆にご飯をドボンと入れる
今週のお題「納豆」
あー、これはもう一つしかない。普通にご飯と食べますわ。40gの発泡スチロール?容器に入ったやつを食べるので、強いて言えば、ご飯に乗せるんじゃなくて、納豆の容器のほうにご飯をドボンと入れるのが、皆さんと違うところかな。たれとからしは入れるけど、ネギとか薬味を入れたりすることは面倒なのでないなあ。
昔、NHKためしてガッテンで、納豆の美味しさを最大化するかき混ぜ回数を実験していて、確か500回くらいだっけ?美味しさをかき混ぜ回数の関数 y=f(x) とした表したときに、ちゃんと fが2次関数になっているのが面白かった。
さらに昔話で思い出した。JALで出てた、そして今はJALUXさんが作っているはずのドライ納豆。これはフツーに美味しいけど、納豆とは別ジャンル。ナッツ類と同レベルで食べたい。
塩納豆
上品で美味しいなーと思った納豆は、山形県鶴岡市の旅館でいただいた自家製の塩納豆。塩と麹から作る塩納豆は、庄内地方の特産のようだ。基本的に豆なんだけど、うっすら納豆のねばねば感も添えられているという程度で、朝やさしいものを食べたい気持ちに合う。また食べたいなー。
ひきわりもいい。逆に大粒は…
昔話ついでに、家の比較的近所にあったお寿司屋さんの、ひきわり納豆巻きも好きだったなあ。今でもスーパーとかで納豆巻きを見かけると、つい手が伸びる。子供のころに見についた味覚の力は大きいのかも。
逆にちょっと苦手なのは、かなり大粒の納豆。ていうか、ほとんど豆でしょ。。というくらいの大粒のやつは、かき混ぜようがない。
これはなんだろう、ロボットが人間に似ていると親近感がわくが、あまりに人間に似すぎていると不気味になってしまうのに似ていなくもないような。納豆は豆の派生品?ではあるのだけど、あまりに豆に似過ぎると苦手感が…いやごめんなさい、大粒納豆に失礼でした。
心の平安をもたらす庭園と美食 #京都 #仁和寺
そうだ、京都行こう。サイトにあった、仁和寺の88か所巡りというのが気になった。仁和寺は、昔母に連れられてきたが、何も覚えていない。入館料のチケットが手元にあったので覚えている。当時は短冊形というか本のしおりのような細長の入場券がいろんなお寺で共通していて、それをコレクション的に持っていたのだ。四条大宮から嵐電を乗り継いで御室仁和寺で下車すると、真正面に正門が見える。888年建立、世界遺産だったなんて。
まずは御所庭園が素晴らしい。均整の取れた池泉式庭園が、平安をもたらす。ちょっと暑いくらいだが天気も穏やかで、みんなのんびり休んでいる。右奥に五重塔も見える。そして、池に浮く小葉がモネの睡蓮のよう。しかも水面下には鯉がいてたまに息継ぎをしている。
霊宝館(1927年にできた美術館)もなかなか良かった。吉祥天立像は、なんとヒノキ一木造り!(隣の座っている阿弥陀如来坐像は寄木造り)しかし昔の人は厳かなデザインを好んでいたのか…と思ったが、もともとこんな真っ黒だったわけではなく、彩色の跡が正面の衣服の下部にかすかに残っている。とっても鮮やかだったのかもしれない。それを見たら、けばけばしいと思ってしまうかもしれない。私たちの仏像のイメージは、時間がたったモノトーンの姿だから、控えめで厳かな印象だけど、実はそれは間違っているのかもしれない。特に信者を獲得する目的においては、控えめでいる意味はあまりないはずだ。
いずれにしても、吉祥天立像、のっぺりした穏やかな表情が良い。この立像の目の前で、平安時代の職人が作っていたと思うと、何とも言えない不思議なタイムスリップをするようだ(フェルメールの絵の前に立った時も同じ感覚だった)。吉祥立像以外の他の立像は、なんとも微妙な表情…怒ってるようで穏やかな表情のミックス。
「御室左近」の白身魚押し寿司
境内の御室会館が休業中のようで、精進料理にはありつけなかったが、正門目の前の「御室 左近」のランチが素晴らしかった!隣の天ぷらそばが2,000円だったので、清水もとい仁和寺の舞台から飛び降りるというのは冗談だが、奮発して2,500円のランチに。おさしみ、卵焼きに、鯛の押しずしがうまい!親に食べてもらいたかった。
デザートの抹茶わらび餅が食べたことのない食感とうまさ!和洋折衷というと確かにそうなんだが、その言葉で片付けてしまうのがもったいなく、ババロアとわらび餅のいいとこどりのような感じ。お節料理の注文がどんどん入っているようなので、検討してみるか…と思ってみたら、伊勢丹で売っているのが4万円、これは手が届かないな。しかしいつか父にも食べてもらいたい。1人で感動しているのももったいないので、少しでも持って帰りたい思いで、中途半端にイワシの七味佃煮のようなものをお土産にした。

