*[読書]明日の田園都市

 

新訳 明日の田園都市

新訳 明日の田園都市

 

 

ニュータウン田園都市計画を1900年前後に世界で初めて提案した本。高校の地理で、レッチワースという地名は習った記憶がある。その理論と実践を示した人の古典で、都市の過密やスラム拡大と地方の過疎・衰退という二つの問題に同時に取り組んだとされる。多くの先進国がスラムを克服しつつある中、これを読む現代的意義はあるのだろうかと半信半疑のまま読み進めた。

 

まずこの本は、町=社会といなか=自然は磁石で結ばれていなくてはならないと述べる。そうですよね。現に、都心から230分程度の移動で自然と触れ合える都市は魅力的だ。また本書の提案では、農地と消費地とが隣接しており、地産地消の概念も先取りされている。

 

そして本全体として、田園都市そのものの構造の話よりも、お金のまわり方や、コミュニティの移住についての主張が多いのが意外だった。また、アルフレッド・マーシャルJS・ミルなど経済学者の影響を受けていることもあり、自治体と民間の領域はどこで線を引くべきか?生産増大(効率性)と公平性とを両立させるにはどうすればよいか?といった、現代でもよく問われる経済学的な論点が既に議論されている。

 

もちろん、スラムを壊して新しく郊外に町を作る、というコンセプトそのものは、今後の日本にはあまり関係ないだろう。とはいえ、人口減少を前提にしたコンパクトシティ化、Iターンによる地方創生という文脈で読むと示唆があるかもしれない。発想を転換して、ひょっとしたら地方都市でこそ、既存の市街地にとらわれず、新しい中心部を郊外に作ることが新たな人やお金の流れを作るかもしれない。もちろん途上国ではもっと現実的な適用の可能性が高い議論の幅が広がるだろう。でも一方で、あまりこれにとらわれ過ぎるのも非現実的である。たとえばロンドンやニューヨークでは、郊外に町を作るのではなく、犯罪多発地域を再生させた再開発の事例もある。色んな制約から、移転ではなく、既存の都市をどう再開発するかということの方が重要であり続けるだろう。

 

本書が提案したようなニュータウンは、人工的過ぎて温かみがないと批判されがちである。では、ジェーン・ジェイコブスの言う雑多なご近所が織りなす温かみを持ちつつ、新たな街づくりをすることはできるだろうか?そのヒントとして、本書が基づく理論(の一つ)であるウェイクフィールドの植民地理論によれば、元の社会状態のまま、コミュニティが丸ごと移住することが重要だという。また著者は、労働者が自ら町を作ることで、資本家に対抗できるともいう。翻って現代の日本。東北の被災地からの移住においても、もとからのコミュニティが温存されることが人々の生活への満足度にとって重要だったことがわかっている。元のコミュニティをできるだけ保存すること、移住者自らが街づくりに関与すること、が今後の災害への事後対応として重視されるべきではないか。

 

都市同士のつながりはどうなるのか、スラムをつぶした後のロンドンはどうなるのか、といった根本的な疑問もある(一応、本書に答えは用意されているが)。自発的行動や競争が起こることを楽観視しすぎでは?そもそも田園都市を信託財産として持つ人はどこから現れるのか?

 

こうした疑問は残るし、本書の内容をそのまま実践する時代ではなくなったが、何らかの現代的気づきが今でも得られる本だと思う。