*[読書]ネットで進化する人類 ビフォア/アフター・インターネット

インターネットを媒介に、人類は機械やバイオなどとともに新たな進化を遂げていくという本である。『サピエンス全史』の言い方を借りれば、サイボーグ工学等が自然淘汰にとって代わることで「超・ホモサピエンス」になっていく過程である。

1章(スプ):未来にはこうなるかもしれないというProvocativeな問いかけをアーティストとして行っていきたいというマニフェストと解釈した。オキシトシン生成遺伝子を組み込んだカイコで作った、恋に落ちるかもしれないシルクドレスとか、純粋に楽しんでやっているのもよいけど、それ以上に、サイエンスとアートとエンジニアリングの架け橋になるという使命感は爽快である。

4章(藤井):バーチャルリアリティーや藤井らの進めるSRによって、ヘッドマウントディスプレイを通じて自己は自らの肉体を越えるようになる。幽体離脱離人症のような不思議な感覚が得られるというだけでなく、外科医のように希少な専門性を持った人間が、他の人間を同時に操って能力をシェアすることができるようになるという。欲を言えば、「脳の潜在機能の拡張」という節は、どんな部位がどのように拡張されるのかといった内容があるとよいと感じた。

5章(田中):オープンソース3DプリンタであるRepRapは、自己再生産する機械というコンセプトだったが、文字通り機械が自己再生産するのは難しい。でも、オープンソースでプリンタが改良、進歩、分化していくのも自己再生産に近いという(ややこじつけ感があるが、理論やアナロジーとしてとても面白い)。

3Dプリンタは、情報を送ってしまうとあとは人間のやることはない点が、強みでも弱みでもあるという。田中は、あえてそれを半自動にすることで、人間と機械とが互いに創ったり壊したりしていくことが、便利さではなく創造性を追求するために必要なのではないか、と指摘する。このようにあえてループホールを残しておくというのは直観的に正しい気がするし、人間と機械が共進化する新たな可能性を感じる。

6章(伊藤):DIYバイオで創薬する伊藤の興奮が伝わってくる。ただ、本書全体のまとめをしようという意図からか、バイオでない視点も入ってきて焦点がぼやけてしまっているのが残念。マインドフルネス、アイデンティティ、コミュニケーションなど非常に重要な論点にも触れられるが、どれもちょっとした紹介程度に終わっているので、章を改めてほしかった。

本書全体として、人間と機械やバイオなどとの「共進化」がますます鮮明になっていくと感じた。当然のことながら、こういう進化が良い悪いという規範的な判断は据え置かれているし、楽観主義者としては、これが切り開く様々な可能性に期待したいけど、一方で課題も出てくる。たとえば4章のように自己が肉体を超えるようになると、アイデンティティの再定義を迫られることになる。一体我々は何になりたいのか?また、市場での臓器ならぬ身体売買に対する需要が生まれることも想像に難くない。

こうした哲学・倫理的な問題は山積している。というか、一つの問題が解決しないまま、新たな難題に次から次へと襲われる感覚さえある。これらに対処するにも、伊藤は「コミュニケーション」が必要と6章で述べる。それはそうなんだろうけど、やや物足りなく、提案としてもう一歩踏み込んでほしかった。

具体的には、本書が提示するような新たな人類進化に対する、抜本的な社会的熟議の仕組みを作っていく必要があると思う。その際のヒント(の一つ)は、やはりインターネットやオープンソースにあるような気がする。

たとえば1章では、多くの人と研究者がやり取りする「反応する科学(Responsive science)」が提示されているが、科学技術を一般に伝えるサイエンスカフェの取り組みや、リスクコミュニケーションなどの知見も使えば、こうした進化に適応していくことは不可能ではないし、自分もそういう議論に関わっていきたいと思う。