人間関係における部分均衡と一般均衡

こないだある人と話していて、人間関係で生じる問題について、自分に何ができるか、なぜ自分がうまくコミュニケーションできなかったかという視点で考えていらした。これはとても殊勝なことだと思う。経済学の部分均衡分析と同じで、他の条件を全て一定と考えているに等しい。

これは最近注目されているアドラー心理学的な考え方でもある。(とは言え私は不勉強なので、相手の出方で場合分けしてこうすべきというゲーム理論の戦略的考え方も取り入れてるのかもしれないけど。)

でも一方で、自分にすべての責任があるという考え方は、行き過ぎると自分を追い詰めることになり、精神的にも辛い。それに自分だけきちんと対応して、相手がそれと同じレベルで努力していないように思える時は腹立たしく感じてしまう。

結局、部分均衡と一般均衡の関係と同じく、自分だけで解決するという考え方と相手との相互作用でアドホックに解決するという考え方には、どちらも一理あり、一理しかないから、うまく使い分けていくべきなのだろう。