カタストロフと美術のちから

東日本大震災の衝撃はまだ残っているけれど、少しずつ薄れつつある。そんな自分の意識を少し変えたいというのもあって、訪れてみた。

www.mori.art.museum

展覧会でフィーチャーされているメインの作品はもちろん印象的だ。冒頭のThomas Hirschhornによる紙で再現した災害後の建物(でも高校の学園祭で作った迷路を思い出してしまった)やオノヨーコの参加型アートはインパクトが大きい。

でももっと小粒の作品も色々と考えさせられた。アートとしての完成度と、思考の糧になるかどうかは別物なんだな。

たとえば混乱が続くパレスチナのラマラにピカソの作品を持ち込むというイベントのドキュメンタリー。これこそ、皮肉でも何でもなく、カタストロフの渦中でのアートの力である。その他の作品は、渦中ではなく、事後(アフターマス)でのアートの役割を問うものになっている。それに何といっても、ピカソゲルニカの作者なのだ。冒頭に引用されているけど、Every act of creation is first an act of destruction. すべての創造は、破壊から始まる。とはピカソの言。

また、チェルノブイリ原発事故の数日後に開園予定だった遊園地のアトラクションを解体して、マンチェスターまで運んでそこでアトラクションを再開するドキュメンタリー。マンチェスターのお客さんは純粋に乗り物を楽しんでいるが、どことなく虚ろな感じもする。チェルノブイリの人たちが享受したであろう楽しみを、時間も空間も異なる自分たちが享受する居心地の悪さなのかもしれない。

そして地震に見舞われたNZクライストチャーチにおける、紙で作った教会のミニチュア。坂茂はむしろ災害時における活動をライフワークにしている。

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作家名/作品名:坂茂《紙の教会 模型》
この写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。

ジリアン・ウェアリングの作品で、スーツを着た男性がI'm desperateと書かれた紙を掲げているのを「絶望的」と訳しているのだけど、ちょっと限定しすぎでは。語感としては、なかなか思うようにいかなくてかなり焦ってます、的な心情も含まれるように思う。それはともかくこの作品は、周りの人たちはうまく言って自分だけうまくいかないように思えることもあるけど、でもみんな苦労しているんだということを思い出させてくれる。

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作家名/作品名:Gillian Wearing《Signs that say what you want them to say and not signs that say what someone else wants you to say》
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当初、カタストロフの定義がかなり広いのが気になった。たとえば、引退して夫にも先立たれて「もうどうでもいいIt doesn’t matter」が口癖になった女性が少しずつ自信を取り戻していく様子(Katerina Sedaの作品)。インドの結婚持参金を用意できずに子供を殺された女性が慣習の廃止を訴える様子。これらは一見個人的な悲劇であり、カタストロフと定義するのはどうだろうと首をかしげてしまった。でも実は、こういう個人的な視点にいったん立って、一人ひとりが外的なショックからどう立ち直るかということの積み重ねが、社会経済全体のカタストロフにどう対応するかということのヒントになるはずだ。

森美術館で6年前に開催された「メタボリズム展」を思い出した。メタボリズムとは、戦争や自然災害からの復興の過程でもあるのだ。カタストロフに遭うのは避けたいけど、でもどうしても避けられないこともある。もし遭ってしまったらそれは運命と受け止めて、そこからどう這い上がるかを考えよう。池田学が見事に描いている、がれきからにょきにょきと美しく伸びていく大樹とその周りで生きる人間。永遠に続くものなどないが、終わったところから何かが始まるのだ。そのために希望を失ってはいけないことを教えてくれる。

今やどこもかしこもESGやらSDGsやらだ。でも持続可能な発展というのんきな標語には、そんな山あり谷あり、破壊と創造も含めて考えるべきなのだ。というか、そんなショックすら前提にしていない発展など絵に描いた餅でしかない。

そしてアーティストには何ができるのだろうか?今回の展示のプレディスカッションの中で、「自分がやっているのはアートなのかどうかはわからないが、とにかく対話することが重要」という趣旨のことを言っているアーティストがいた。アートだボランティアだなどと気負わずに、まずは現地で何が起こっているかに耳を傾けることなのだろう。