Kyotographie2018その3

今回のハイライトは最終日にやってきた。

誉田屋源兵衛 深瀬昌久

まず室町四条を上がったところにある誉田屋源兵衛。毎年すっかりおなじみの会場となった。長屋の手前のほうでは、海外では有名な深瀬昌久の猫やカラスや自画像。猫の視線で、サスケという猫を追い続けるうちに、自分も猫のようになってきたという。あなたは犬派?猫派?という二分法が巷にはあるようだけど、猫派を自称する人たちは目線や動き方が猫と同じと感じるものなのだろうか。人間のいたずらっ子のような表情を見事に引き出しており、陰陽に浮かび上がるサスケの影の捉え方も独特だ。写真をピン止めなど加工して、さらにポラロイドでとったという作品も。

自画像は、現代の自撮りのようなもので、いろいろ工夫してユニークながら、あまり共感はできなかったが…。

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誉田屋源兵衛 ロミュエル・ハズメ

奥の通路を抜けたモダンな蔵のような会場は、過去数年はアラスカの雪原や太平洋の鳥を解体したらプラスチックだらけだったといった展示が印象に残っている。今年は、西アフリカはベナン出身のロミュエル・ハズメによる作品。

丸みを帯びた壁面を活かして、ガソリンスタンドというタイトルの横長の作品が掲げられている。巨大ペットボトルに入れられたガソリンが並べられた光景は、12年前にインドネシアブンタン島で目にした光景を思い出す。この辺の人々はヨルバという民族で、エグングンという仮面を着けて踊る。日本各地に残る伝統行事と同じく、先祖=死者の魂が戻ってくるという意味があるというから興味深い。あとは、ポリタンクやほうきなどで作った人の顔や、使い古しの傘で作ったインスタレーションなど。

京都文化博物館別館 ジャンポール・グッド

ジャンポール・グッド氏による、もはや写真展の域を大幅に超えた複合メディア?インスタレーション作品。壁面にはこれまでの作品が並べられ、中央にはとんがった鳥のようなカラフルなオブジェが置かれ、(フランス在住)ロシア人ダンサーが美声を発しながらスルスルと動き回っている。最初は精巧にできた電動人形?と思うほどスルスル感があったが、まごう方なき生身のダンサーであった。スタイリッシュで伸びやかで、鑑賞者も解放される感覚を味わえる空間。

ロシアの文学カフェでは、女優がプーシキン叙事詩などを朗読するらしい。それが歌うようにも聞こえるらしいと知って、今回のロシア人インスタレーションもその伝統を取り入れたのかと合点がいった。

普段は立ち入れない元日本銀行京都支店の2階では、グッド氏の作品のメイキング映像So Far So Goudeを上映。同氏、最初はウエストサイド物語や雨に唄えばなどアメリカのダンスに入れこんだが、絵描きやイラストレーターにもなりたかったとのこと。日本人の先入観と違って、フランス人がアメリカ文化にいかに影響を受けており、ヨーロッパとアメリカの文化の緊張感から生まれるものがいかに多いかを示している。

ココシャネル、ペリエ、エゴイストなどの広告のメイキングは万人に爽快な印象を残す。良くも悪くも広告は無意識に訴えかけるというが、彼の広告は、その商品を欲しいという本能が我々に備わっているかのように思わせる強さがある。山頂におかれたペリエを巡って、いったんはライオンに怖気つく女性が、吠え返してペリエを自分のものにする、ドレス姿の女性がガラスのショーウィンドーをけ破って香水を手に取り、そのまま刑務所送りとなる、3人のモデルが香水をボーリングレーンに投げ、心の底からストライクをたたえ合う、等。使い古された表現だけど、どれも強い女性の自己主張を掘り起こしたと言えるのかもしれない。

堀川御池ギャラリー 森田具海

三条通のカフェでいつものプレートご飯をいただいてから、ギャラリー素形、便利堂を経て、堀川御池ギャラリーへ。

1966年閣議決定以降の成田空港建設反対運動(三里塚)を象徴するフェンスに囲われ、成田空港近辺の無人の風景が収められる。予備知識がなければ、ホッパー的な寂寥感を誰もいない空間で表したんだろうかという印象も受ける。なかなかこれだけではメッセージは伝わりにくい印象。

作者(森田さん)は三里塚水俣学に重ね合わせようとするが、うーん、どうだろう。もちろん、そこに昔から住み続けている地元住民が横暴な権力に抵抗するという構造は共通しているのだが、健康と障害、そして当初はメカニズムが分からなかったが今は科学的な解決法があるという点は決定的に異なるような。三里塚も権力との闘いだけど、日本国民ほぼ全員が空港には賛成していて、実は「権力」の中身は社会の多数派そのものだったりする。

権力が弱くなるほどフェンスは強くなるという指摘、なるほど。ブルース・シュナイアー氏の著書に、内部の信頼が弱くなると物理的な外部のセキュリティに頼るようになる、というようなことが書いてあったっけ。

小野規

2階にある、小野さんによる東北沿岸の防潮堤建設の作品。解説にあるようにこれは防潮堤に対する抗議や批判ではなく、あきらめにも似た受け入れなのだろう。一言で防潮堤といっても色んな表情があることがわかってとても面白い。

たとえば従来の防潮堤が黒くなっているのにかぶせるように建設されている部分は、やがて増築された部分も黒くなって、もとからあった光景として溶け込んでいき、年輪のように防潮堤が重ねられていく将来を暗示しているかのようだ。重機や作業員によって今まさに整備が進められている光景は、これが雇用に貢献する公共事業であることを思い起こさせる。人工物であっても、いや人工物だからこそ、人の生活といろんな形で結びつくはずなのだ。

京都市中央市場 K-NAF

時間も無くなってきたが、二条から丹波口エリアへ初めて行った。フランス人アーティストK-NAFによるHatarakimonoプロジェクトは、超普通(Super ordinary)な働き者を普通じゃない(Extraordinary)手法で描き出すという趣旨。これが京都市中央市場の薄汚れた(失礼!)壁面にポスターのように貼られている。労働するという感覚、いいですね。評論家になってはいけない。私たちは毎日仕事が大変だとぶつぶつ文句言いつつも、仕事を通して社会や人の役に立っていると実感することで、生きがいを得ているのだ。この作品からは、そんな地に足の着いた労働観・生活感が伝わってくる。

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三三九 ギデオン・メンデル Drowning World

貯氷庫に昭和の産業機械が鎮座する高湿な空間にうってつけの展示だった。予備知識なしに見たので、あえて水に浸かって撮ったもの好きな写真…かと思いきや、アメリカ南部やブラジルやインドなど13カ国の洪水発生直後の人々が、途方に暮れつつも目の前の状況を静かに受け入れる様子を映し出したもの。

動画では、別の国での洪水後の我が家の復旧に当たる作業がシンクロして映し出される。災害が一瞬にして日常を破壊することを痛感、災害の記録としても貴重だ。でも一方で、ほとんどセリフなしで茫然としつつも我が家を淡々と片付け、カメラの前で取り乱しもせずにたたずむ人々を見ていると、むしろ人々の強靭さのほうを感じる。

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