*[アート] blur

KG+で立ち寄ったSferaExhibitionで、去年も放映していたBlurというショートショート、良いのでまた見てしまっただよ(90年代ブリットポップの話ではないです)。視力の弱い父が四六時中、子どもたちの色んな写真を撮っていて、現像もせずいったい何が楽しくてカメラに執着しているのかがわからない。けんかして距離を置いてしまった父が亡くなった後にフィルムを現像してみると、そこには大量のピンボケ写真に交じって、自画像をとる母の姿があった。カメラは母の形見だったのだ。ピンボケ写真は、父が見たそのままの世界だったのだろう。こんな作品は他の人には撮れない、という内容。

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言われてみれば当たり前だけど、人の視界って、身長も視力も視線も興味の対象もみんな違うから、ばらばらなのだ。これを再現するという発想は面白いかもしれない。視覚障碍者の視界を再現する眼鏡とか、動物の視界を再現する映像などはあるけど、そんなカメラがあってもよいかもしれない(そういえば服が透けて見えるカメラがあったらいいなぁっていうしょうもない話、ドラえもんだったっけ?)。

人の視界のみならず、人の考え方とか世界観とか、「あ、こんなことだったんだ」と気づく瞬間がある。それが自分の親だったらなおさら感慨深いし、ほとんどの人には、大人になってやっと自分の親の言っていたことや考えていたことがわかったという経験があるんじゃないかな。でも、お礼を言いたかったり、単に「やっとわかったよ」と伝えたくても、時には遅すぎたりする。そんな切なさも、この作品は代弁してくれるのだ。

それとこの作品のみそは、フィルムという媒体の存在である。フィルムというワンクッションを置くことで、生産と消費との間に時間的ギャップが存在する。そこから、何が生まれるかわからないわくわく感、情報や思い出が失われてしまうかもしれない不安感、そしてこの作品が描き出すように過去とつながる期待感などがもたらされる。デジカメでは生産と消費とがほぼ同時に行われ、精度を保ちながら再生産することも可能だし、消費した画像がいまいちであればそれを次の生産にコストなしでフィードバックさせることもできる。また、チェキも生産と消費とがほぼ同時で時間的ギャップはないけど、こちらはアウトプットがアナログというギャップがある。

もちろんこの作品は、自社製品の宣伝映画でもある。その点に嫌悪感を示す人もいるけど、企業だったら仕方ないというか当たり前でもある。それ以上に、本業を通して人々の幸せに貢献できていれば、素晴らしいんじゃないかなぁ。